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イチローだった。

 僕はイチローだった。実家の吉井駅前の洋服店の、2階にあるいつもステレオを聴いていた部屋の天井に向かって、大きな声とともに直径30センチほどの白いグラスファイバーの束を口から吐いた。グラスファイバーの束は天井に届き砕け散った。

 グラスファイバーについては、昨日合併の準備で事務所にケーブルを引く作業をみていたので理解できる。「実家の天井」「イチローだった自分」「グラスファイバーを口から大量に天井に向かって吐き出した」というのが、フロイトやユングの夢判断の著作を片っ端から読まないとわからないが、ちょっと性的な感じもあっていやらしかー。

 ゆすり起こされて「大きな声を出した」とだけ言ってまた眠りに入った妻を、再び起こさないように静かにドアを閉め階下に降り、冷蔵庫から牛乳を出し飲む。

 午前4時だった。どうせ通販番組ばかりだと思いながらもテレビをつけたら、きれいな女の人がふたりで天気予報などをリアルタイムでやっている。あと30年生きながらえることができたときの老人である僕の姿を考える。ひとり眠れずテレビを観ている。少し前までは眠れない老人のための番組はNHKのラジオの「ラジオ深夜便」であった。しかし今は生のおねえさんふたりである。

 眠れない中高年にもこれはありがたい。

 体調悪いなあと思っていたら足ツボマッサージの予約を思い出した。足ツボマッサージは初めてで、ツボを押されたときに頭まで突き抜ける快感は、一升の美酒にも勝る。愛する男に貫かれる女の性というものが少し分かったなどと書くと、文学的であるというより下品であろうか。終わってから500mmの茶を30分以内にのみ、悩まされていた老廃物は「出て行きゃいいんだろう」と急いており、体が軽くなり頭もすっきり。今夜は静かに眠れそうである。

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私を許さないで憎んでも覚えてて

 今日は長く世話になっていた職場の形式上の解散式だった。最後を惜しみしみじみ飲んだが感慨深い。

 桑田けーすけのフジテレビ月曜夜の「音楽寅さん」がすごい。毎週桑田が全力投球でコントや歌を披露する。先週の「アビーロード」の空耳でアルバム全部歌ったのはすごかったが、昨夜の「死んだ男の残したものは」「風に吹かれて」を歌ったのには感動。清志郎さんの「反戦」の遺志を継ごうと思っているのかなあと関心。

 ようやく録りためていた「ありふれた奇跡」の最終回をみたが、とにかく仲間由紀恵がよかった。井川比佐志が朗々と「人とのつながり」を話す場面に本気で泣いてたなあとおじさんはますます感動しちゃうのであった。3人の自殺志願者が「出会いの運命」で生きる希望を見出して暮らしていくという最終回で本当によかった。今は「クイズショウ」しかみてないが、感動するドラマに1週間のはずみをつけたい今日この頃である。

高校生のとき水泳部だったという甘楽信金のその人は、毎日のように夕方6時ころになるとワンピースの水着を着て、同僚だというピンクのビキニを着た女の子と公園のプールにやってきた。今は四国で司法書士の事務所を開いているH君がいい男で、その人は彼に会うのを楽しみにしていたようだ。H君のクロールとその人の平泳ぎの競争は毎日毎日続き面白かった。

 彼らの競争を座ってみているのは、子ども達の歓声が無くなり一日の喧騒が引いた後、いつもプールサイドに西陽とともにやって来る「慰安のひととき」であった。その子のことをだんだんH君も意識しはじめ、彼女が来る時間が近づくと自分で用意した沢田聖子の「青春のリグレット」をテープで場内に流した。

 西日の射すプールサイド、マーメイドのような長い足を持つ彼女、H君の監視の毎日で陽に焼けた顔。ユーミンの「青春のリグレット」を聞くたびに1985年の夏の情景を思い出していた。はからずもあと少しで仕事を終わる今になって、同じような夏の夕方を迎えることができるようになった。

あの頃のように、誰かにときめくことが再びできるかと思うと少しつらい。

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パリの日本人

 前橋市の大渡町にあるイタリアンバイキングの店が矢中町のデニーズが閉店したあとに開店しRて1年記念のお祝いをやっていて、食事券で半分返ってくるというので、そーゆーことに目ざとい一家で出かけた。待つこと1時間ほどで、1,050円のバイキングは、ピッツア、パスタ、別料金のジェラード(これは無料券をコンビニのクーポン雑誌で調達)で腹いっぱい。パスタにしても、ピッツアにしても「ゆでたてです」「焼きたてです」と店員が持ってくるものに群がり、一定の温度は保つものの乾いて手を出されないものもあり、「混みすぎてて昨日はそのチェンジが遅かった」と家人の弁。厨房にもって行かれるパスタを思い少し罪悪感。

 バイキング、安価な服、安価な旅はまさしくトレンドで、わが家は史上最高益に各製造業がわく好景気の時代からトレンドの最先端にいた。私らが子どもの頃は服はデパートで買うものだと思っていたし、外食などというと寿司やうなぎなどといい物を食っていたような気がする。団塊の世代ジュニアの30と何歳だか忘れたが流通業界ではターゲットの境界線があるとのことでそのあたりの若い人は、服はユニクロやGAP、スィ―ツはどこそこのバイキングなどと「見栄」という要素を度外視した実質的な消費行動にあるらしい。会社のその年代の女性のシンプルな服装は組み合わせの妙を要素としていて、ミーが若い頃長く住んでいたパリのかつての若者たちのように質素でシンプルでおしゃれざんす。

 一昨日酒席の際に聞いた茂田さんとあさみっちゃんの訃報には愕然とした。愛すべき人たちの相次ぐ死に気をつけなれけば今度はわしだと、カワウの大群の飛ぶ川の上空を見ながら思うのであった。

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はしご湯などしている場合ではないよ

 色々と課題の多い職場で慣れない道具いじりの日々が続き疲れたので、合併の準備も忙しいがローテーションの休みで渓へ。ウエーダーの底のフェルト貼りに始まった膨大な準備時間にいよいよと思ったら強風で立っていられないほどで、30分で釣りをやめ、泣きながら車に戻り、こうなったら温泉しかないと5つ星の大塚温泉http://yaplog.jp/gomagoma/archive/342をナビでセットしたら、中之条が、いる場所から12キロほどだったので出かけた。ぬる湯、源泉かけ流し、混浴という私の好きな3大要素が揃っていて、期待どおりのすごくよい温泉であった。風呂には70代の男、50代の女性、30代くらいの女性もいてあれこれ「何に効いた」などと話していて、「霊泉」であるらしい。34度の湯温は冷たい感じもあり、私は首から下がつってきた。頚椎ヘルニアにはよくないのか。それでも加温してある浴槽と交互に1時間入り疲れがとれた。

 帰り道に渋川の金島温泉http://onsen.nifty.com/cs/255/dtl/onsen001163/1.jspの看板を発見し寄り道、これも5つ星の憧れの温泉であった。  濃い伊香保と同じ成分の源泉をかけ流していて、飲泉もできる。榛名のゆうすげ元湯も伊香保の濃い泉質で気に入っているが更に濃い。小さい建物ですいていてよかった。

 名高い5つ星温泉をはしごし、明日からまた頑張ろうという気持ちになってきた。大塚温泉は神経症が適応症の一番に出ているが、神経を和らげてくれるようだ。難題に向かっていこうという気持ちになってきた。

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スー・チーさん大丈夫か???

 I_bb_v8 宮部みゆき、東野圭吾、井上荒野、天童荒太、家で家事をする時間以外、気に入った作家の作品を手当たり次第読書をするというふたりの同僚に刺激されていくらか小説をまた読むようになった。井上荒野「切羽へ」は孤島を舞台に奔放な教師月江や小説のなかで孤独な死を迎える老婆かなえさんが起こす事件などを通し、新任の教師石和にひかれる養護教諭セイを描く。生々しい男と女の事件なども島の明るい印象を通して、独特の詩の世界のように描かれる。三島由紀夫の「潮騒」か「Dr.コトー」の世界である。面白かった。性と死を明るく描いた作品かなと思う。

 義母の病院の治療の時間待ちに「ねじまき鳥」再読。村上ワールドにどっぷりと浸かり「足の爪が黒ずんできた。また麻酔なしで剥がされるのかあ」と心配していた義母には悪いが、「義母さん大丈夫ですよう」とうわの空で合いの手を入れながら読書を続け、幸せな午前であった。ばちあたりめ。

 昼を食っていけという義母のことばに言い訳をし、自宅で蕎麦をすする。乾麺とはいえ蕎麦食ったのがなんと1ヶ月以上ぶり。何でもいいから蕎麦を食いたかったのだ。

 午後は民生委員の青木さんが来てくれた母の病室で、青木さんが持参したパイナップル、ミニトマトを食いながら時間を過ごす。息子の職場が窓から見える病棟で、母は心配していた痴呆にも寝たきりにもならず、元気で退院したがっている。体はヘロヘロに歪んでいるがご近所の年寄りのうちで最高齢であるので、母が生きていることは旧陣地区の年寄りたちの「心の支え」となっているらしい。ちょっと実家によると近所の年寄りがわさわさ集まり「どうよどうよ」と聞かれる。息子以上に口の悪い婆ちゃんは愛されているのだ。とりあえず叔母達のように90過ぎまで生きていてもらいたい。母の長姉は少し子どもに返っているが現在97歳である。いつもニコニコして、ちぐはぐなこともあるけどよく喋る。

 良く晴れた土曜日。布団と洗濯物がよく乾いた。年寄りたちの相手もでき、夕飯も我ながら上手にでき、家庭内ビールもインゲンの塩茹で、ご近所Mさんの四国みやげの生節などを肴に美味しくいただけた。

 それほど長くない自分の先ゆきではあるが、自分よりもっと短い(かな?)ふたりの母と一緒にいられて、いい土曜日であった。

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夏には「メキシカンロック」でGO GO

Mb009  1974年大学の野外音楽堂でみた清志郎さんは良く覚えていないけどあまり派手なメークはしていなかったような気がする。「雨上がりの夜空」か「トランジスタラジオ」を歌ってくれたような記憶もある。ただ「プロだなあ」とショービジネスの厳しい中で生きているのだと思わされたのは自分の客席の隣にセットしてあった音響を調整するミキシングマシーンのすべてのレバー、スイッチをミキサーがRCサクセションが舞台から降りたとたんグチャグチャに上下させたこと。そのあとは大学のアマチュアバンドが沢山出たのだ。物静かな清志郎さんのイメージと全くあわない激しいミキサーの手つきであった。

 1年後くらいには武道館や球場でのコンサートばかりでそんな小さい田舎の野音で演奏することはなかった。

 何故か「雨だれ」でデビューしたての太田裕美と競演していたのだから、すごいコンサートであった。高校生のころ高崎の音楽センターで「学生街の喫茶店」が売れ出したガロと「ともだち」や「夏休み」を歌っていた吉田拓郎の競演というのも見たが。リンドバーグの吉井町産業文化会館の演奏会もよかった。

 おいちゃん昭和時代か平成初期の古い話ばっかりじゃあねえか、最近デビューした安達明や佐々木新一の話でもしろや。

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清志郎まで逝ってしまった

 展望台の中にある陣屋跡の絵を長兄はいつまでも見ていた。うちの先祖はボヘミアンなんだよといっても良く理解できないのか。

 衆愚政治を目指す政府の策に乗せられてはいけないと、連休はじーっとして井上荒野の本などを読んでいたのだがあまりの良い天気に長兄に声をかけ老母を見舞い、馬庭の県道沿いのラーメン屋で500円のA定食を食った。チャーハンと醤油ラーメンで腹いっぱい。水餃子と焼きギョウザ両方取ったが食いきれず中国人のママさんにドギーバッグをいただき持ち帰る。ラーメンはさっぱりして旨かった。ワッシーさんのブログhttp://www.geocities.jp/m_wassy2003/index.htmのように分析はできぬが500円定食は魅力的でまた行きたくなった。

 その後全くこのところ行ってなかった牛伏山と大判地のダムへ。吉井町にもこんないいところがと板橋生活の長い長兄は感激していた。バスだかブルーギルの大型がゆったりと泳いでいたダム湖は体が緑に染まりそうな新緑を映しきれいだった。

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マリエもう疲れたよ僕

 とにかく呑みすぎたが朝5時40分ではある。酒を飲んでも歌を聴いてもギターを弾いても治らない慢性睡眠不足である。執拗に素人とからみ大嫌いな萩本さんには「全日本睡眠不足大賞」などというのをやってもらいたい。バニーちゃんからメダルがもらえること請け合いである。自分の目がウサギちゃんではあるが。

 これ以上遡っても今日はもう釣れないなあと獣しかいない峪の最上流で竿をたたもうかと思っているときに、赤ちゃんをおぶった若い女の人に会った。ねんねこというのかカイ巻きというのか妙に古めかしい母子の姿で、深い滝つぼを見つめていて私を凍りつかせた。

 そういう女に会ってもいいから、マムシや山蛭、熊その他なんでも会ってもかまわないから山奥の沢に出かけたい。とにかく山奥に行かないと眠れない日々である.

 永作博美も結婚しちゃうし、つらい連休である。これで菅野美穂もなどということになったらあたしゃどうにかなっちゃうよ。どうにでもなれという声あるので新聞でも取りにいくか。

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