出不精なのに出ると「むしろっぱたき」
書く年賀状と来る年賀状が年を追うごとに少なくなってきた。新しい人間関係ができても年賀状をかわすということがなくなっているとも思うが、出会いが少なくなってきているような気もする。
子どものPTAの役員を受けたら学年委員長という人が張り切っていて「飲み会やりましょう」「一期一会を大切に」みたいな人で「市議選でも出るのかなあ」などと思ってしまう。高校の役員なんだからもう軽いつきあいでいいんじゃねえかなあと、飲み会の2次会は断るようにしているが、そもそもそういう斜めに構えた姿勢が良くないのかもしれない。
酒精づけの年末が終わり、掃除片付けの年末となった。毎年同じことの繰り返しである。今年もあまり映画も見られず、読んだ本も少なくなった。このまま定年になってしまうのかなあと思うとどうにもやりきれない。まあ仕事が変わったのが今年のいちばんの出来事かなあ。それと高崎映画祭のモギさんの死。飯島愛の変死もやりきれないほどつらくさびしい気持ちにさせられる出来事だった。
「生きるとは」「学問とは」といつも姿勢正しく「歩く人生訓カレンダー」といわれる家庭での父親が「たらいまー」と帰って、ソファか浴槽でプカプカ眠ってしまうという豹変ぶりに子ども達が「けっ」とつばを吐く忘年会デイズが終わってとにかくよかった。酒づけの日々はよくない。大晦日から正月にかけての酒のこともあるので少し控えよう。酢蛸だ、伊達巻だ、昆布巻きだ、熱燗だ。ばかたれそんなことばかり考えておらず換気扇でも磨け。

