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分け入っても分け入っても書類の山

 Main_logo            クライマーズ・ハイがようやく明日上映できる。8月末からの検討に始まり、ポスターの業者印刷、チケット、チラシの手刷り、マスコミ手配、協賛企業へのアプローチ、売券など、いつものことだがスタッフ一同全力を尽くした。あとはお客様がどれだけ来て下さるかだ。 1本上映するだけでみんなの必死の頑張りが必要なのだから、高崎映画祭やシネマテークの大変さが慮られる。

 年を重ねて、いまさら星空の映画祭を大きな映画祭にしていくのは無理だけど、自分の気に入った映画を公民館の講堂などで上映するというのもやってみたい。デ・シーカなどがいいなあ。

 白菜が5個ほど家の敷地に転がっていて、凍みないように新聞紙にくるんで毎日食っている。特に気に入っているのがベーコン、ジャガイモなどと煮て、牛乳とシチューのルーを薄く溶かしたシチュースープだ。新しい白菜を「よいではないか、ブホブホ」と剥くのは快感である。青虫などがいると「わりいけどお前の飯くっちゃうかんね」などと話しかけると丸まる。愛おしい感じがする。こらこら電車にまくなよ。ざっくり切って塩をふり少しおき、ユズをおろして食うと燗酒がすすむ。

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パスタをゆでてもひとり

 シネマテークのDMが届く。総支配人の死を報告する志尾支配人の追悼文に心が動く。茂木さんがやりたがっていたトリュフォーの特集をやるみたいだが、みせたい映画をみせられる場を骨身を削って作った一生がしみじみとうらやましい。

 地元選出のK県議のブログにも茂木さんのことが出ていて、警備を頼まれた「靖国」の初日に県議が来ていて会話をしていたのも見ていた。そういえば色々なことを飲みながら話したけど合併についての茂木さんの考えはこうだったけかなあと、記憶の曖昧さが歯がゆい。大陸で会うくだりのときは映画祭のはねたあとだったかで自分もそこにいてよく喋るK当時秘書をみていたことを思い出す。

 どうにも熱意が強くてわき目をふらないという人は自分のまわりに何人かいるが会っていて面白い。茂木さんもそんな激しい人だった。

ちょぼちょぼと生きている人生というのも悪くはないが、論敵も味方も沢山つくり激しく生きている人生というものを送りたいものだ。

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秋の空には雲ひとつない ぼくは死を想う

 家人が久々に休みなので、家の周りの片付けをした。春先小さな苗だったミニトマトは横枝を切らないまま育ちたわわに実を付けている。もらったコスモスの株がようやく枯れ始めた。ベニカナメも変な風に伸びひどい状態になっている。花水木も先日まで紅い葉を付けていたのに丸裸になっていた。色々なことに悲しんでいるうちに季節がどんどん深まっているのでしっかりせねばいけない。

 東口に午後8時30分頃には子どもが集まるのでラビ1の5階で飯でも食おうと思ったが、自宅で豆乳鍋にした。ラビ1地下の書店で猟師になった都会人の本が平積みになっていた。狩猟免許を取ってイノシシの解体をしたり罠をしかけたりと奮闘する若い人の話だった。イノシシの解体写真まであって興味をひくようになっていた。内容はよいが、その本を持ったときの柔らかい装丁からいうと1,600円は高く思われ、買うのをやめた。

 豆乳鍋にはアキタコマチのきりたんぽというのを入れた。鍋で煮込むと米の旨さが際立ち、きりたんぽっていいなあと感動する。生協の1リットル1,060円の醸造酒で食った鍋は旨かった。鍋が旨いといっても鍋をかじったわけではない。

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ゆすると美味しくなるのでヴァイヴ付き冷酒セット

 若いころ聴いていたエリック・ドルフィーをアウト・トゥ・ランチをセブンイレブンの通販でとうとう買った。青林堂のガロで宮谷一彦という漫画家がジミ・ヘンドリックスなどと並べてエリック・ドルフィーを描いていたのでどんなジャズなのかなあと興味を持って聴いたのが18歳の頃だった。前衛というと電子楽器の登場以後のような気がしていたが、ヴァイブとフルート、フレディ・ハバートとトニー・ウィリアムスの後のVSOPコンビの演奏がむちゃくちゃ複雑に絡んでまさにアヴァンギャルドな世界だ(古い言い回しだねえおじちゃん)。「星の光が登って落ちた」という曲を聴きながら中山峠を夜中に走っていたら、深い森に迷い込んだような感覚になった。あぶにゃい、あぶにゃい。

 過労と風邪でとうとう寝込んだ妻の代わりに明日の米をセットし終えて、温めた牛乳を飲み始めたらもう午前0時35分。しんそこ疲れている日々ではあるが、仕事忙しく家庭も忙しいのに、何となく充実感がない。

 どこかにいっちゃてて昨日見つかった途中からの「モルヒネ」でも読んで寝るか。心に深い傷を負う女医の主人公と末期がんの恋人のピアニストが体を重ねるシーンは何とも悲しく、このところのガンを患う人のことばかり考えてきている日々には重たい印象である。しかし本当に面白い小説だ。やはり小説も面白い。まばたきのような短い一生のうちにこのような小説にあと何度巡り会えるか。いい映画にも感動したい。旨い酒も飲みたい。

 

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わしらの茂木正男さんさようなら

 茂木さんと初めて会ったのは86年の夏頃だったから、今日の弔辞によれば高崎映画祭の第1回を始めたころだったようだ。当時はNTTの作業服を着ていて池の工業団地の配線の打ち合わせをしたような記憶がある。

 次に見かけたときは選挙の投票にきたときで、ブランドものの黒く長いコートを着て、電車の帰りのようで本を4、5冊抱えて、投票所に現れた。「結構かっこつけてるなあ」と思ったがその後の俳優や映画監督との交渉などの苦労話を聞くと「業界の人」のようでいなければいけなかったのかなあと思う。

 夜中の柳川町で、作業を終えたあとのようで高崎映画祭の若いスタッフとギョウザを旨そうに食べていたのを見かけたときは、「若いスタッフとはしゃいでいるけど大変だなあ。」と思ったものだ。こちらは3次会で泥酔している午前2時頃であった。 

 私達星空の映画祭の活動にもよく来てくれた。今まで上映した作品の9割は茂木さんの手配によるものだった。ご兄弟を水の事故で亡くしてからしばらくして、夏休みの小学生の兄弟が鉄塔をたどる「鉄塔武蔵野線」を「いい映画だから上映してみたら」と夏の上映会にすすめてくれたのも、小さい頃の兄弟の思い出があるからかなあと思ったものだ。

 酒を飲み始めるととことん飲んじゃう人で、退職祝いでご自宅にお招きいただいたときは高崎映画祭のチケットとパンフを渡されたが、預かったわしも飲みすぎた。朝目が覚めたらわが家の畳の部屋にチケットの袋があり「モギさんのうちから持ってきた記憶がないぞお」と二日酔の頭で反省していたら電話がきた。「モトパン君俺昨夜チケット渡したっけ」と。

 東京から沢山の映画関係者が来た今日の告別式は焼香の列は絶えなかったが、吉井町の式場にしたのも地元を大事にしてくれた茂木さんのご遺志であるような気がしている。吉井の夏まつりでは山車に随行し、子ども達とはしゃいでいたのをよく見かけた。麦わら帽子をかぶり、お祭りの手ぬぐいを首に巻いた姿は「高崎映画祭のモギ」というより「下長根のおじさん」であった。吉井町を大切にし、地元に溶け込んでいた。

 高崎映画祭の根岸さんや志尾さんが引き継ぐ茂木さんの遺志と、私達が引き継ぐ茂木さんの遺志は、引き継ぐものの大きさに雲泥の差があるが、今年の私らの総会の時に夏の行事について川も台風で荒れたしと、縮小後退するような案が出たときに「永遠に続けろ」と激しく励ましてくださったことをいつまでも忘れずにいて活動していきたいものだ。 

 マーティン・スコセッシのストーンズの記録映画予告編だけで滅茶苦茶かっこいい。茂木さん亡きあとでもこれからも音楽系統のドキュメント上映して欲しいと思う。

 「風のガーデン」の奥田英二演ずる二神が亡くなった直後に、同じくガンを患う主人公のキャンピングカーの窓に来て「先に行っているよ」というシーンを昨日ビデオで見たが、今日告別式で茂木さんが亡くなった時間を聞いて腑に落ちたことがある。土曜日の正午すぎに誰もいない家で本を読んでいたのだが、鍵が閉まっているのに誰か室内に来たような音がした。長男が帰ってきたかと思って呼んだが鍵はしまったままだった。不思議だった。

テレビドラマと同じにしては不謹慎だが、異界に旅立つ前に頑張れと励ましに来てくれたような気がしている。

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エコドライブは危ない

 五家宝は噛んだときの、にちゃとしたもち米の食感と、きな粉の香ばしさがマッチして好きな菓子だが、子ども達に評判が悪い。先日吉井町産野菜の直売で東京に行ったときの帰りに、高坂SAで買った五家宝を一口食べた子どもは「東京行ったなら東京バナナ買って来いや」と叫ぶ。どこそこのパティシェが作ったケーキといわないところが大衆的なわが家だが。もっとも練馬に行っただけで東に食い込まなかったのだが。

 「ぶあかもの、東京バナナと五家宝ではポッと出のアイドル歌手と都はるみくらい違うぞ」と怒鳴ると「アイドル歌手って何だ?都はるみって誰だ?」と返され、その後しばらく五家宝をひとりで夜中に、関越がまだ開通していなかった頃東京の親戚の家に遊びに行き、帰りに熊谷のドライブインでまだ若かった父に、五家宝を買ってもらった頃の幸せだった日々を思い出しながら数日間食べていた。

 練馬ICのそばの学園祭での直売を終え、スタッフのSちゃんは三芳SAで東京バナナをゲットし、別行動のわしらは三芳で降り損ねて高坂で五家宝を買ったのだが、そのことをスタッフのSくんに話す(Sばかりや)と「上里まで行くとレストランは西武系だしスタバもあるんすよねえ。」という。中途半端な高坂で東京バナナが買えず五家宝を買ってしまったわしは、先日家族と東京から関越道で帰るときに「寄るなら上里」と呪文のようにつぶやきながら高速を走った。

 地球と家計のためにエコドライブを始めたわしは、90から100キロの時速を維持していたが、いつも追越車線を「おりゃあどけどけえ」と運転していた頃の緊張感がなく、このところの4時間半か5時間しか眠れないハードな日常生活のせいもあり、助手席で眠る連日激務の妻につられウトウトし始め、上里に入る手前で無意識で隣の車線に行ってしまい、激しくクラクションを鳴らされた。

 街中でも急ブレーキは踏まないようにしている。前の車が赤信号で止まっていれば百メートルくらい手前から停車しないで青に変わることを期待して、早めにそうっと減速し、前の車に近づく。これがよくない。先日は目白通りの歩道を歩く感じのいい女の人がいて見とれていて、減速したまま前の車に追突しそうになった。「おりゃあ止まるぞう キュッ」という止まり方の緊張感が無くなったためである。

エコ運転は危険だ、事故を起こす。「そりゃ全部あんた個人に原因がある」という声が聞こえないくも無いが。

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